こんにちは!このえ まるです!
プロフィールよりもう少しつっこんだ自己紹介で「このえ まる」というヤツを知ってもらえれば幸いです。
このえ まるの歩みはこんな感じ
生まれも育ちも横浜市のハマっ子です。
現在アラフォー真っ只中でございます。
物心ついた時から絵はよく描いていたと思います。
でも小さい子って大体お絵かき好きですよね?
それが大人になっても変わらなかった…と簡単に言えばそういった感じです(笑)
小学生の時は「マンガクラブ」に所属し、中学では運動部でしたが友人にイラストや4コマ漫画なんかを提供していました。
高校では人前でまったく絵を描かなくなりまして…
理由は思春期にありがちな「オタクと思われたくない」とか「ヘタクソだから恥ずかしい」とかそんな感じですね。
しかし、ノートとかにラクガキはしょっちゅうしてました(笑)
挫折多き日々
その後、ゲームクリエーターを目指して専門学校に行きましたが、プログラミングの難しさについていけず、あえなく中退しました。
そして高校で馬術部に所属していたのもあり、どうしても馬関係の仕事に挑戦してみたかったんです。
知人にとある牧場を紹介してもらい雇っていただいたんですが、体力的についていけずに数か月で辞めるという…
この頃は、家族含め友人知人に相当迷惑かけた時期でもありました。
私の中ではこの時期が一番黒歴史だと思ってます。
ただ、やりたいことをやっていたというのもあって、あまり後悔はしていません!
毎度付き合ってくれている家族や知人友人には感謝しかないです。
やりたいことはやったほうがいい!
でも、周りを振り回すのはほどほどに…
絵を描くことが好きだとようやく気付く
専門学校中退
牧場数ヶ月で退社
そんなことを経験して、しばらくはやさぐれていました(笑)
フリーターをしつつ就職活動もなんとなくしていましたが、氷河期だったのもあり、まったくひっかからず…
そんな暗~い気持ちを唯一和らげてくれたのが、絵を描くということでした。
自分
とにかく没頭できて、その間だけはイヤなことぜ~んぶ忘れられる!
イラストを描く、漫画を描く事こそが最大のストレス解消法だったんですね。
昔から漫画もよく描いていたんですが、完全に自己満足で誰にも見せたことはありません。
ここにきてようやく、私は絵をかくのが好きだったのか!と気づきました。
20代も半ばで気付くとは…
我ながら遅い!
はよ気付け!
そして、イラストレーターや漫画家になりたいと思うようになったんですね。
漫画を描くのは大変だった
とにかく絵を描くのを生業にしたくて、イラストコンテストやら漫画の賞に応募しまくりました。
今はもう無くなりましたが、「講談社フェーマススクールズ(以下KFS)」が主催していたイラストコンテストにはしょっちゅう応募してましたし(それがきっかけで通信教育も受講しましたが長くなるのでまた今度)、漫画も月1ペースで応募していた時期がありました。
正直今考えるとクオリティは相当低かったと思いますが、よくやったなと思います。
漫画は原稿用紙に直で描いてましたし(ネームはどうした!?)
その頃の自分はあまりにも無知すぎましたね。
今やれって言われたら…
お断りします!!
(全力)
漫画を1作品イチから完成させるのは、かなりのエネルギーを消耗するので、3~40ページの読み切りを毎月とか…
ちょっと…うん…考えちゃいます。
そういったことを半年続けた頃に、某週刊少年誌で一番下の賞を獲り、担当さんが付きました。
この時から週1程度都内の編集部まで通い、ネーム(マンガのラフですね)を見せてはまた修正して、次の週に持っていく…というループを大体2~3年は繰り返していました。
とにかく辛かったです。
何が辛いって
修正に修正を重ねても、とにかくネームにOKを出してくれないんですよ。
OKが出ないと下描きもできないどころか完成できない!
自分
お願いだから
ペン入れさせて!!
もう泣くしかない…
その後、何回か賞をいただき、連載企画にも挑戦しましたが、ネーム地獄に耐えられず担当さんとは連絡を取らなくなりました。
そのネーム、他の雑誌に持っていったらよかったのに…
と、今は思います。
当時はまったく考えもしませんでしたね。
過去の自分に言ってやりたいです。
広告漫画との出会い
担当さんとやりとりをしていたころ、並行して KFSを受講していました。
そこからイラストや漫画のご依頼を受けていたのがきっかけでこういう仕事もあるのか…!と気付きました。
それが広告漫画やビジネス漫画でした。
以前からそういった広告漫画やビジネス漫画を手掛ける制作会社のサイトに登録してはいたんですが、ほったらかし状態に…
描いた漫画を載せていましたが、仕事に繋がるようなものではなかったため、何年も連絡は来ませんでした。
担当さんと連絡をしなくなってしばらく経った頃だったと思います。
なぜか登録していた制作会社から「新たに仕事を任せられる人を発掘したい!」と連絡をいただき慌ててほったらかし状態の登録情報を一新しました。
「とにかく漫画を描けそうな万人受けする絵柄の人」を探していたらしく、KFSが出版社などに配っていた冊子を見て、たまたま目についたということらしいです。
この時ほど「漫画を描いててよかった…!」と思ったことはありません。
もちろん、運もよかったと思います。
仕事は少しづつ増えていった
その連絡から少しずつ漫画の依頼は増えていきました。
やはり某少年誌で担当さんが付いて、あれこれとネームをこねくり回していたことが非常に大きいと思います。
それなりにでも「漫画を描けるヤツ」として認識してもらったからこそ、依頼が増えたのでは?と感じています。
当時拾ってくれた担当さんにはとても感謝しています。
それからフルタイムのパートとイラスト・漫画の兼業を8年くらい続けていました。
そして2020年、フルタイムで働いていたY●局の人間関係に限界が来てしまい、フリーランスになる決意をしました。
だいぶ遠回りしましたが
現在フリーランスになって1年、イラストレーター・漫画家の仕事もさまざまな方のおかげもあり、生活できるくらいには何とかやっていけています。
このブログで何を書く?
このブログでは、
- パートとイラスト&漫画を兼業していたときのこと
- フリーランスになってからのこと
- イラストレーター・漫画家を仕事にして気付いたこと
- 時々昔話や日常のこと
そんなことを書いていきます。
その中の何かが、誰かの悩みの気付きやヒントになってくれたらとても嬉しいです!
そしてそんなブログになることを目指しています。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
引き続きよろしくお願いします。
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